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八島信雄(やしま のぶお)

漢字は「信雄」でFort様確認済み(2026-09-20)

出身
秋田県本荘(現・由利本荘市)
学歴
旧制第三高等学校(京都)→ 東京帝国大学工学部
専攻
船舶工学科/機械工学科「舶用機関学」専修(船舶用エンジン専攻)
卒業
昭和13年(1938年)7月 ※原本ページ画像で目視確認済み
家族の伝承
広島県呉市で潜水艦のエンジン(機関)設計に従事

わかっていること

複数の公的資料(東京帝国大学の学生名簿・卒業生名簿、旧制第三高等学校の在籍記録)に、 秋田県出身の「八島信雄」という学生が、船舶工学科・機械工学科の「舶用機関学」専修 (船舶用エンジンを専門とする課程)に在籍していた記録が見つかっている。 「舶用機関学」という専攻内容は、家族に伝わる「潜水艦のエンジン設計」という話と 方向性が一致する。

出身地(秋田)と氏名の漢字表記はFort様ご本人に確認済み。 昭和13年7月の卒業という時期も、家族の伝承にある「呉で潜水艦のエンジン設計」という その後のキャリアと矛盾しない。

おまけ:同期生に歌人夫妻の息子

同じ「昭和十三年七月卒業」の欄には與謝野昱(よさの アウギュスト)の名も 並んでいる。歌人・与謝野鉄幹と与謝野晶子夫妻の五男で、東京出身。つまり八島信雄は 東京帝国大学工学部機械工学科・舶用機関学専修の同じ卒業クラスで、明治〜昭和を代表する 歌人夫婦の息子と机を並べていたことになる。

この専修の卒業生(明治33年〜昭和13年、95名)全員を個別に経歴調査したところ、 確度のある著名人は與謝野昱ただ1名という結果だった。紛らわしい同姓同名は複数見つかった (明治34年卒業生「永井壯吉」=小説家・永井荷風の本名と同一だが経歴不一致で別人、 昭和13年卒業生「高須四郎」=海軍大将と同姓同名だが生年から別人、など)が、 いずれも生年・出身県・経歴を確認した上で別人と判断し除外した。

まだわかっていないこと

調べた情報源

大学記録(原本画像で目視確認済み)

『東京帝国大学卒業生氏名録[昭和14年版]』 (NDLラボ書誌該当ページ画像(IIIF)) の「機械工学科(舶用機関学専修)昭和十三年七月卒業」欄に「八島信雄 秋田」の記載を、 原本ページ画像を直接取得して確認。 『東京帝国大学要覧 昭和10年』『東京帝国大学一覧 昭和11年度』 にも在学中の記載あり。

旧制高校

『第三高等学校一覧』昭和6・7・8年度版 に在籍記録を確認。

要正式請求・現地照会

国立公文書館デジタルアーカイブの「軍属名簿(呉・佐世保)」 (呉海軍工廠工員名簿、五十音別。実例: 「シ」行の巻) は、メタデータ上「要審査」に指定されており、 画像は一般公開されていない(国立公文書館への正式な利用請求が必要。技術的な壁ではなく 制度上の壁であることを2026-09-20確認)。 アジア歴史資料センター(JACAR)・防衛研究所の 公文書検索でも決定的な一致は未発見。 大和ミュージアム企画展「海軍技術者―呉に集結した頭脳―」の 紹介対象5名にも該当なし。

なお「八島俊一」(海軍中佐・三菱造船神戸造船所)、「八島重雄」(北海道の地方吏員)、 戦艦「八島」は、いずれも文脈が一致しないため別の存在として除外している。

次に当たると良いもの

  1. 国立公文書館への正式な利用請求(「軍属名簿(呉・佐世保)」ヤ行の巻の閲覧申請)
  2. 東京大学デジタルアーカイブポータルの卒業アルバム(機械工学科・昭和13年度)
  3. 大和ミュージアム(呉市)への直接問い合わせ(企画展で紹介された5名以外の資料の有無)
  4. 呉市史の人名索引
  5. ご実家に残る辞令・写真・除籍謄本などの一次資料

ご先祖ルーツ調査 / 続柄未確定の親族

村上清治(むらかみ せいじ)

続柄について:当初「もう一人のひいおじい様」として調査したが、 Fort様より「ひいおじいちゃんではないかもしれない、ただし血の繋がりはおそらくある」 との訂正があった(2026-09-20)。以下の経歴自体は事実だが、Fort様との具体的な 続柄は家族への確認待ち。
生没
1895年(明治28年)3月19日 〜 1955年(昭和30年)10月13日
出身
秋田県由利郡上郷村横岡(現・にかほ市)の素封家
学歴
秋田中学校 → 東北帝国大学農科大学農学実科(現・北海道大学農学部、1916年卒)
職業
農業経営者(不動建物取締役社長、上郷村農業会長、森林組合長等)
国政
衆議院議員2期(秋田2区、1947〜1952年)

経歴

上郷村会議員(3期)・秋田県会議員(1期)・上郷村長を経て、1947年の第23回衆議院議員 総選挙に日本自由党公認で出馬し秋田2区で初当選。1949年の第24回総選挙でも民主自由党 公認で再選(連続2期)。この在任期間(1947〜1952年)は、吉田茂内閣(第1次〜第3次)の 期間にすっぽり収まる。24期には農林委員長代理(第7回国会)、第4回国会では厚生委員会 理事を務めた。1952年の第25回総選挙では自由党から出馬したが落選している。

八島信雄の出身地「秋田県本荘」(現・由利本荘市)と、村上清治の出身地「秋田県上郷村」 (現・にかほ市)は、どちらも旧・由利郡内にある。隣接地域の出身という共通点がある。

詳細年表(国会議員だった分、記録が豊富)

秋田魁新報の連載「顕彰碑物語―ふるさとの先人たち―」に村上清治が取り上げられている 記事切り抜きが確認できた。地域の顕彰碑(記念碑)を紹介する連載のため、 にかほ市周辺に本人の顕彰碑が実在する可能性が高いが、正確な所在地は記事現物を 見ないと確認できていない。

国会での実際の発言(28件)

国会会議録検索システム(公式・全文検索可能)で本人の発言を検索したところ、 1947〜1951年の28件の発言記録が見つかった。一貫して地元・由利郡と 東北地方の利益を代弁する内容で占められている:

例: 1951年11月22日・経済安定委員会での発言国会会議録検索システムで 「村上清治」を検索すると全28件が読める。

さらに上の代(ご先祖)について — 未確認

秋田県公文書館「所蔵古文書目録第5集 系図目録H」に「村上氏系図」 (史料番号A288.2-531、1858年、村上市右衛門清孝伝来)という文書が見つかった。 系譜は清規―清継―清頼―清順―清信―清忠―清時―清嘉―清孝と、代々「清」の字を 使う命名パターンで、村上清治の「清」と似ている。

ただし要注意:この家系は1602年の佐竹家転封に伴い秋田入りした 足軽(下級武士)の家柄で、1675年に横手(秋田県内陸部)へ移住したとある。 村上清治の出身地・由利郡上郷村(日本海側の沿岸部)とは地域が異なり、身分も 「素封家=地主・商家系」対「足軽=下級武士」で異なるため、同じ家系である 根拠は薄い。たまたま同じ姓・似た命名パターンを持つ別系統の可能性が高く、 確定情報としては扱わない。

調べた情報源

国政記録

国会議員白書「村上清治」 (国会会議録検索システムのデータを元に作成。選挙履歴・委員会活動等を掲載)、 国会会議録検索システム (本人発言の全文、28件)、 Wikipedia「村上清治」 (生没年・出身・学歴・地方政治歴を含む個別記事)。

ご先祖・系図(未確認)

秋田県公文書館「所蔵古文書目録第5集 系図目録H」 (村上氏系図A288.2-531を確認。ただし別系統の可能性が高い、上記参照)。

郷土資料(NDLサーチで書誌確認・現物は要現地閲覧)

『反骨の明治人 村上清治翁を偲んで:追悼の記』(1984年)、 『象潟町史 通史編 下』(2001年)、 『顕彰碑物語―ふるさとの先人たち―続』(秋田魁新報記事切抜)。

秋田魁新報 記事切抜(NDLサーチ経由で書誌確認)

1923/12/131924/12/8 (県議として県農業政策への質問)、 1930/3/28 (県議辞任)、 1952/9/16 (衆院選への政見発表)。

次に当たると良いもの(いずれも現地・現物確認が必要)

  1. 北海道立図書館所蔵『反骨の明治人 村上清治翁を偲んで:追悼の記』の閲覧・複写取り寄せ
  2. にかほ市(旧・象潟町)での『象潟町史』該当箇所の確認、顕彰碑の所在確認
  3. 秋田県立図書館での秋田魁新報縮刷版・マイクロフィルムの現物確認
  4. 『秋田人名大事典(第二版)』(秋田魁新報社、2000年)の該当項目

まだわかっていないこと